満月、指輪、ドーナッツ。
そんな丸いものを思い浮かべると、
なんとなく穏やかな気持ちになりませんか?

三角や四角やペケマークよりも
やっぱり丸の方が気持ちが和らぐような気がするのです。

直線だと、どんどん伸びて、
行き着く先が分からなくて不安になりますし、
角があるものはなんとなく強張った感じがするのですが、
円だとまた同じところに戻ってこれるような
安心感があるからでしょうか?

そんなわけで、私はヨガの時に
円環をイメージすることがよくあります。

両手を上げ下げする時や、後屈のポーズ、
手の指で印を結ぶとき、
呼吸に意識を向ける時など。

円や弧を思い描きながら、
動いたりすることで、
動きも滑らかになり、
余計な力が抜けやすくなります。

大きな丸いシャボン玉に自分がすっぽり入って、
守られているような姿を思い描きながら
ヨガをするのも楽しいものです。

そして、ヨガの時だけではなく、
円の力を使って、
私たちの毎日をまあるくしてみることもオススメです。

例えば、
一日をまんまるな円でイメージしてみる。

朝起きて、食べて、働いて、遊んで、眠って、
また目が覚めるまで。

一年もひとつの円。

春、夏、秋、冬。

一生もまた大きなひとつの円として。

生まれて、成長して、あれこれあって、死んで。

そんな死ぬまでの大きな円の中で、
毎日、毎月、毎年、
小さな円のようなものを描き続けながら、
私たちは生きているのではないかと考えます。

また、一日の円環の中にも、
さらに小さないくつかの円が含まれています。

そのひとつが先程も出たヨガの練習です。

ヨガマットの上で、呼吸したり、伸びたり、ねじったり、
子供のポーズになったり、猫のポーズで猫になってみたり、
戦士のポーズで戦ってみたり、
色んなことを体験して、
最後は屍のポーズ・シャバーサナ(休息のポーズ)で死んでいきます。

ヨガの練習はまるで
生きて死ぬという人の一生を表しているよう。

他にも、食事もひとつの円のように考えられるかもしれません。

作物など自然界の命も円を描くようにぐるっと循環しますよね。

植物が育って、収穫されて、料理され、
食べられ、血肉となり、排泄され、
土となって、またそこから芽が出て。

その円環がきちんと丸くつながればいいのですが、
現代ではその循環の途中で途切れてしまって、
円にならないことが多々あり、
社会問題にもなっていますが…

そんな風にして、
ヨガマットの上や日常生活で小さな円を描き続けることで、
命の循環を感じ、生きて死ぬ練習を繰り返しながら、
私たちは死へのイメージトレーニングをしているのではないかと感じています。

ただ一直線に先の見えない死に向かうのは、
不安と恐怖で足がすくみますが、円を描いて、
また元のところに戻ると考えられると
なんとなく穏やかな気持ちでいられます。

自然が描く円、その中で自分が描く円、
みんなが描く円、たくさんの円環を繋げていければ、
この地球全体はまあるくおさまるような気がしています。

抽象的な希望論のように聞こえるかもしれませんが、
何を始めるにもまずは想像力が大事。

様々な円を感じながら、
まあるい気持ちで日々を過ごせるといいですね。

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柳原 愛

ヨガアライアンス認定 RYT 500 ヨガインストラクター
日本ヨガメディカル協会認定 ヨガセラピスト

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